永林寺住職 佐藤公彦
いつも永林寺のホームページをご覧頂きありがとうございます。
皆様におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます。
いつも永林寺に際しましては、格別のご高配・ご法愛を賜り厚く御礼申し上げます。
永林寺に来ていただく皆様には
『尋ねる人には微笑みを去り行く人には幸せを』祈念します。
新しい年を迎え、皆様におかれましては、笑顔のあふれる年になってほしいと願っております。
永林寺も檀信徒や参拝者など皆様に支えて頂けるステキな寺院に成長できますように布教してまいります。
皆様に助けられ、このお寺の可能性を探したいと思います。
さて昨年は元日から能登半島地震が発生し、魚沼でも揺れを感じました。
あれから1年が経ちます。
12月に住職も大本山總持寺祖院様にお伺いさせて頂き
現状をお聞きして少しですがお手伝いをさせて頂きました。
まだまだこれから事態の変化もありますが
被災地域の皆様、どうぞご自愛くださいませ。
昨年の永林寺は地域のイベントなどにも協力し
地元で活躍する皆様からもご協力いただき
方言に関するグッズお土産物を作成させて頂きました。
お参りしていただきました皆様に愛されると良いですが!
今年も素敵な出会いというご縁を大切に
色々チャレンジしていき
変化に対応しつつ永林寺を護持していこうと思います。
本年も永林寺を宜しくお願い致します。
永林寺は観光のお寺と言われることが多いのですが
観光面だけでなく、ご先祖さまやお寺参りに仏法の教えに触れ
訪れる方々には功徳のあるお寺とし
石川雲蝶の作品とのご縁も結ぶため
どうぞステキなご縁を信じてご参拝ください。
永林寺とご縁を結ぶ皆様が笑顔で心裕かな生活ができますようお祈り申し上げます。
ご自愛くださいませ。
曹洞宗 皆の宗 ニコニコ宗
永林寺住職 佐藤公彦 合掌
住職プロフィール
1974(昭和49)年6月10日生まれ。
※僧籍(僧歴)としては、10歳にして出家得度し、地元中学を卒業後、1990(平成2)年愛知県豊川市の妙厳寺専門僧堂(妙厳寺は通称豊川稲荷として有名)に安居する。その後、1999(平成11)年6月24日より永林寺の副住職の任を受ける。
2021(令和3)年2月15日先代住職急病につき遷化の為3月16日より永林寺住職の任を受ける。
※学歴としては、新潟県北魚沼郡堀之内町(現・新潟県魚沼市)の堀之内小学校と中学校を卒業、愛知県豊川市の豊川高校を卒業、新潟県新潟市の新潟国際情報大学を卒業。
※趣味としては、野球観戦や音楽鑑賞に舞台観劇など、そして温泉や食べ歩きも大好きで、観光の視察などを兼ねてほとんど国内ですが気になっているところには足を運んでいます。
※※過去の役歴としては、新潟県曹洞宗青年会第18期副会長・小出郷曹洞宗青年会事務局を2014年度より6年2020年より会長職を拝命・平成の市町村合併後(一社)魚沼市観光協会理事を約10年就任し、2019年より再度理事に就任・(一社)魚沼青年会議所を2014年に卒業(最終役職は副理事長)
今現在は、永林寺を中心に布教活動(講演会や慈善活動含む)やイベントを企画してSNS(Facebookやインスタグラム、YouTubeチャンネル『和尚ヶ貳人』読み方や検索はおしょうがつぅ)などの広報も含め、いろいろな活動をしている一方で、住職(寿職)として関わる方々が笑顔になれることでも活動中。
【先代住職】
令和3年2月15日16時7分に
永林寺二十五世中興泰巖憲雄(佐藤憲雄)大和尚が急病のため遷化いたしました。
これまで住職並びに永林寺を支えてくださり本当に感謝申し上げます。
2月15日はお釈迦様がお亡くなりになった日です。
先代を良く知る方々なら
豪快で楽しい住職でお坊さんらしくない住職の認識や
笑文芸が大好きでお笑いの関係者のような人だと感じていた方もおられたかと思いますが
観光に目をつけ寺院維持はお参りだと
『三高・さんこう』という流行語のさなか『健康・観光・信仰』のさんこうを柱に
檀信徒のことを考え
時代に取り残されず、あえて攻めの姿勢での寺院経営を保守的に行っておりました。
多くの方に支えて頂き、家族は本当に感謝申し上げます。
お釈迦様と同じ日に亡くなるとは
最後は僧侶だったなど思っていただけたらと思います。
ご連絡が遅くなり申し訳ございませんでしたが
謹んでご報告と今までの感謝を拝しまして、御礼申し上げます。
最後に先代住職の遺偈(住職がお世話になった方々へ残した後世の言葉の意)をお知らせします
遊学有道 八十四年 在針倉山 檀中感謝
永林寺に遊び(お参り)に来ていただけたら住職の人柄がわかるかな?